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四国中央市立土居中学校の「うつ病差別事件」 この差別事件は、2007年度の四国中央市土居中学校で起こった、A教諭およびに対する一連のパワーハラスメント事件を総称します。 私たちは、ここに登場してくる各個人に対する私怨は持っておりません。何よりもこのような差別事件が起こってしまったことに対して、その原因を究明することが必要であると考えます。 A教諭は、自分がうつ病を患ったことをも公表して土居中学校でのスタートを切りました。土居中学校は、同和教育推進校として有名な学校でした。そのような学校であるのに、なぜこんな差別事件が起されてしまうのか? これはA教諭個人の問題として片付けてよいものではありません。 差別構造は、形を変えて、他の生徒や教職員などに繰り返されるものだからです。 新たな被害者を生み出すことは、絶対に防がなければなりません。 それが、この事件を公表する中心となる目的です。 公表する事を快く了承してくださったA教諭に感謝します。 ここに述べる一連の差別事件は、『概要』にすぎません。ここに述べてないA教諭に対する差別事象はまだ他にも多数あります。また、公表を差し控えている資料もあります。 今後、土居中学校の差別構造の解明に必要と判断される場合には、それらをも公表せざるを得なくなるかもしれません。
(註:これは、2008年2月に書いた文章です。その後状況が変わりました。学校名もS市D中学校から、実名に直しました。C1〜C6の記号については下記ではそのままですが、このサイトの別のページでそれぞれの人物名が推定されるように、修正されました。その理由については、「まごころ教育13」をお読みください。) 本質的に大切なのは、土居中学校ほど極端ではなくても、一つの組織が出来ると、権力や派閥の絡みで、同じようなことが起こる可能性があるということです。すなわち、全国のどこにおいても同様な差別事件が起こる可能性があり、最悪の場合、尊い命が失われることにもなりかねないということです。 さらに、同僚教師に対する差別イジメの構造は、生徒に対してもまったく同じ構造で作動することがあります。実際に、S市D中学校では、幹部教師の生徒へのイジメ事件も起きたのです。 このような見方で、以下の「うつ病差別事件」を読んでいただけたら幸いです。 事件の概要 S市土居中学校の「幹部教師による集団イジメ事件」は →こちら (1)土居中学校の赴任時のA教諭の状況 A教諭は前任校で激務のためうつ病を発症しました。約半年間休職した後、復帰します。徐々に勤務時間を増やし、順調に回復していきました。しかし、回復の過程で、心身症の症状が現れるようになります。さらに、3月下旬に突発性難聴を発症して、10日間入院し、3月30日に退院したのが、土居中学校赴任直前のA教諭でした。入院中のステロイド剤の副作用もあり、心身症の症状は強くなっていました。体温調節が出来ず、4月でも真冬の防寒着を着なければならず、また異常な発汗を伴うため、日常生活にも大変な苦労もしていました。 (2)土居中学校へ赴任してから1週間にして最大の危機に 4月2日 体調不良を押して辞令を受け取りに出勤します。 4月3日 職員会。あいさつで、自分がうつ病盛り返していることを公表(カミングアウト)します。 4月9日 始業式で、生徒にもカミングアウトとします。 4月10日 C1〜C5から体調のことで一斉に責められます。さらにそのときはまだ信頼を寄せていたC4からも1時間にわたって責められ、最後にC5からも釘を刺され、学校を後にします。A教諭はフラフラして車に乗り退職するしかないのかという思いに押しつぶされそうになりながら帰宅します。 4月11日 急きょ病院に行き、 「このままだとうつにまた陥る。病気休暇を取った方が良い。」 と診断されます。 こうして、転任校で何とかして完全復帰を果たそうとしていたA教諭には、再び病気休暇を取ることを余儀なくされるのです。 ここで大切なことはC1〜C5のしたことは大変ひどい仕打ちであるにもかかわらす、C1〜C5はその重要性をまったく認識していないということです。 うつ病は、日本ではまだまだ社会的偏見が強く残っており、 「自分がうつ病である」 ということは、他人には知られたくない第1級のプライバシーに関わることです。 それをあえて公表しなければ社会復帰はできないほど、社会的対応が整備されていないのです。 喜んで自分がうつ病であるなどと他人に知らせる人はいません。それほどの重大な心のバトンを渡されながら、C1たちはA教諭に対して、安心させるどころか、責めて追い詰めることをしてしまったのです。A教諭は、転任早々C1〜C5によって、退職か?うつか?という最大の危機に立たされることになりました。 少なくともこの事態の重大性をC1〜C5が認識していれば、診断結果を聞いたとき、C1〜C5が自らを修正することは十分可能だったのです。 けれども彼らのA教諭に対する対応はその後ますますひどくなって行きます。 A教諭にとって幸運だったのは、 ・よき医師に恵まれたこと ・土居中学校の内外に、優しく寄りそってくれる教職員その他の人がいたこと ・土居中学校の生徒たちが、A教諭の「立場宣言」をしっかりと受け止めてくれたこと でした。 (3)C1〜C6はうつ病を誘発する危険な存在である 4月26日 授業の打ち合わせのためA教諭は奥様に運転してもらって土居中学校に行きます。この日校長室で起こったことは、4月10日よりも更にショッキングなことでした。 A教諭にとって必要な情報(生徒の氏名とふりがななど)はなかなか渡してもらえず、C2が長々と授業に直接関係ないことを話し、ついに体が冷たくなってたまらなくなったA教諭が毛布をかぶると、C2はこういってA教諭を驚かせます。 「『毛布をかぶっとる先生が居る』言うて、県教委に地域から電話があった。だから毛布はかぶるな。」 A教諭は4月3日〜4月10日の間で数回、体が冷たくでたまらないときに職員室の自席で数回毛布をかぶったことがありました。いったい誰がそれをわざわざ、県教委に知らせるのか?? 後に奥様が、C1に、「あれは学校内部の人が言ったんでしょう?」と問いただしたところ、C1は否定も肯定もしませんでした。 また、仮に職員室でそうやって毛布をかぶっている教師を見た生徒がいたとして、いきなり帰って親に話し、親が県教委に連絡をするのでしょうか? さらにまた、そのような保護者がいたとして、学校を素通りして県教委に言うほど、学校は信頼されてないのでしょうか? さらにまた、そういった保護者が学校へA教諭の事を聞いてきたとして、学校はどのように説明したのでしょうか? とうとうたまらなくなったA教諭は、何とか自分の苦しさを分かってほしいという思いで、 「目の前に苦しんでいる人がいたら、『放っとけ』とは生徒に教えないでしょう? 同和教育ではそうしないでしょう?」 と言います。 突然、C3とC2が「同和教育とそれとは違う」と怒りだします。そしてA教諭と口論になります。 これも、A教諭にとっては、意外でショッキングなことでした。土居中学校は同和教育を熱心にやっているという評判の学校だったので、最後には自分の苦しさを分かってくれるはずだ、とA教諭は信じていたのです。その思いは、このような形で、学校の3人のリーダーによって打ち砕かれました。 さらに。 4月29日 C4からA教諭の自宅に電話がかかってきます。 ベッドで横になったまま、A教諭は話します。授業に備えて、生徒の配慮することなどを教えてくれるのかと思っていたら、「4月26日にC1室で大声を出したことについて謝れ」ということでした。(生徒に関して配慮を要することについては、その後現在まで、A教諭には一言も伝えられていません。) 校長C1、教頭C2、教務C3だけでなく、3学年主任C4までもが、束になって責めてくるんだということが、こうして、はっきりと分かったのでした。 (3-2)5月連休明ける。授業は楽しい。職員室は地獄。 5月2日 A教諭、初めての授業の日。 朝、職員室へ入って「おはようございます」という。しかしすぐ近くにいたC2〜C6は無視。あまりにもあからさまなその態度に、A教諭はこれから後、自らC2〜C6と接触することは避けざるを得なくなってしまいました。 約1年半ぶりの授業における、生徒たちとの出会いは、A教諭にとって感動的でした。 職員室はA教諭にとって危険な場所でしたが、授業は日々癒される場所だったと言います。 (4)6月。C1〜C5からの激しいパワーハラスメント A教諭は、時間休をとりながらも徐々に体調が良くなって、5月下旬には勤務時間を増やせるようになりました。ところが、C1〜C6はA教諭のパワーハラスメントをおかまいなくかけ始めます。(それまではA教諭がいないところでの悪口でした。) 6月1日。校長室。C1・C2が同席で、まず、C2がA教諭の奥様に、人権無視もはなはだしい差別に満ちたことを畳みかけます。A教諭が、体温調節を助けるために医師の指導のもとに行っていたこと(ホッカイロを貼る、サポーターで暖を取る、防寒着を着る、自律訓練法をする…)を、全てやめるようにA教諭に伝えよ、というのです。 「生徒が家に帰って言ったら、地域の人がなんと思うかわかんから」 これがC2の頻繁に言う口実でした。 本音のところは、「A教諭潰し」が目的でしょう。自分の意に添わぬ者をつぶす、という魂胆が見えます。 ただし、上記の口実には、本音も見え隠れします。そこにあるのは、自分の保身です。だから部下の体調などどうでもよく、自分の立身出世・保身のために、学校が安定することのみを大切にしようとする姿勢です。 (このような者にとっては、学校も生徒も全て自分の目的を果たすための道具になってしまいます。) C2は、さもA教諭のことを心配しているかのような言い方をしながら、人権侵害もはなはだしいことを言っていたのでした。 その後C1〜C6が繰り返しA教諭に言った、「ウロウロするな」という暴言は、このとき、公的には初めてC2の口から出たのでした。 C2「A教諭が給食準備中に廊下を歩いたら生徒が怖がるから、歩かないように伝えろ」と。 このとき以来、A教諭は、学校の活動に参加することを妨害されるようになります。 そのための最大の圧力は、事項で述べる『病気休暇の強制取得命令』でした。 (4)―2 病気休暇強制命令 C2は、A教諭の奥様に、「授業以外はすべて病気休暇にするように」命令するのです(C1同席)。 C2はかなり悪知恵が働くことが分かります。自分が後で責任を問われるようなことはしません。対人交渉などにおいて、自分は表に出ずに、C3〜C6など、他の人物にそれをやらせます。C1をも巧妙に動かします。 このときも、C2は、巧妙にそれをやってのけました。 その後、体調がまだまだ十分でないA教諭は、不本意にもこの病気休暇強制命令を呑まされます。授業で使うプリントの印刷や教具の準備などは、全て自宅で、この強制病気休暇の時間に行っていたのです(もちろん自費で)。 ごていねいなことに、A教諭の出勤簿もC2が押して病気休暇時間を書き込んでいました(もちろんA教諭には有無を言わせずに)。 (4)−3 情報カット、ずさんな「指示」 6月には、生徒にかかわることで必要な情報もA教諭には回ってこなくなりました。 行事予定などは、良心的な方から個人的にまわしてもらって、A教諭はなんとかやっていたようです。 けれども、とりわけ授業に関する情報が、教科の中において回されなくなっていました。 一学期期末テスト範囲は知らされず、A教諭は授業中生徒にきいてびっくりしたそうです。テスト範囲がむちゃくちゃに広く、それを決めるのはA教諭には全く相談もされていませんでした。テストの問題用紙も渡されないままでした。 また、自分たち(C2〜C6)にとってどうしても必要な所についてのみは、情報を下ろすのですが、それがいつも、締め切りギリギリになってから、突然指示を出してくるという始末。 中間テストをまさに返却しようとしている授業の、開始チャイムが鳴る数分前に教室へやってきて、「問題別の正誤を控えておくように」と言われたり。評定締切日の前の日に、「評定は自分がつけるから、これこれの資料を渡せ」と言われたり。こうして、A教諭はかなり振り回されたようです。 これは、一概にC6の悪意のみとは言えません。それは、中間テストが102点満点になっていたことからも分かるのですが、C6にはややずさんなところがあります。けれどもその102点満点の処理についても一言もA教諭に言ってきませんでした。 これらのことは、前項のC2の行いに比べれば、その悪意においては軽いといえます。けれども、事項で述べる2007年度1学期最大の事件につながってしまうことなので、やや詳細に記述しました。 A教諭の奥様は、何度もC1に、「必要な情報は主人にまわしてほしい」と訴えてきたのですが、C1はその都度うやむやにして、適切に対処しようとしませんでした。 以上のようなことが重なり、A教諭の疲労はピークに達していたようです。入眠剤を通常の倍量飲んでも入眠出来ない日が続き、主治医からは、「仕事を早め早めに計画的に片づけて決して急激なムリながんばりをしないように」と警告されていたそうです。 (5)一学期評定偽造事件 評定の出し方についても、A教諭には一切知らされませんでした。A教諭は、職員会資料を読み込んで、研究しました。そして、締め切りに間に合うように計画的に評定を出し、評定締め切り日の朝、成績一覧表に評定を書き込みました。その後、A教諭は帰って.寝込みます。 その後、この評定偽造事件が起こりました。C4から、自宅に電話がかかってきて、次には病休で休んでいる自宅まで押しかけたそうです。C4の言うのは、 「観点1(関心意欲態度)のAのついている人数が多すぎる。もっとAをつける人数を減らして、Bを多くせよ。またCもつけろ」ということでした。 A教諭は最後まで了解しませんでした。 4月10日から19日の間に、学校ぐるみでA教諭の自宅に圧力がかかります。 A教諭は奥様が鬱病になってしまうのではないかと御自身苦しい中で心を痛めました。 それでも最後まで、観点1の評価については変更することを認めませんでした。彼らの要求はやや軟化して「CはつけなくてもいいからBを多く増やせ。」となりました。激しい圧力の中、とうとうA教諭は折れざるを得なくなります。「Cがつく子は絶対にいません。Bをどうするかについては校長先生が自分の責任においてご自分で判断してください。」(その時点では、まだC1を信頼していました。) またうつに陥るかもしれないという切迫した中ではどうしようもなかったことと思います。 その後A教諭に成績がどうなったのかは一切知らされませんでした。 終業式の日、成績一覧表を見たA教諭はびっくりしました。あれほど最後まで否定した「C」が、二人の生徒についていたのです。 (6)徹底した「生徒との分断」、不審者扱い 1学期の授業におけるその2人を生徒の歩みを思い出して、A教諭は納得がいきません。あの二人だって納得できないだろう。そう思ってA教諭は、一度は帰宅したのだけれど、その二人の生徒に「またがんばろうな」という一声をかけたい一心で学校へ向かったそうです。 けれどもA教諭を見つけたC4がA教諭にぴったりとくっついて離れようとはせず、A教諭が生徒と接触しようとするのを断固阻みました。 A教諭は「C」をつけられた二人のうち、一人とは奇跡的にあって声をかけることができました。しかしもう一人と会って声をかけたとき、3年学年主任C4に阻まれ、その後、C6、C1までもが出てきて、A教諭を学校から追い出そうとします。この露骨な「不審者扱い」にA教諭は大変ショックを受けました。 この「不審者扱い」は、その後もより徹底され、2学期へとつながっていきます。 C2は、土居中学校の教職員らの中の自分の意に沿う連中に、A教諭の動向を見張らせます。そして、A教諭が生徒と、授業以外で親しく接触しそうな時は、すぐ報告させるようにしました。 それは、一つの組織的な動きとなって、土居中学校に現在も潜在化しています。 A教諭を心配してくれる人も土居中には大勢いるのですが、C2のスパイの目を感じるA教諭は、「自分を心配してくれる人達に迷惑がかかってはいけない」と思い、授業以外では気を許して動くことができません。これは大きなストレスだと思います。 (7)2学期。診断書無視の強制病気休暇命令 夏の休暇で体調がよくなったA教諭は、9月完全復帰を目指します。 しかし、再びC1から、 「体育祭の練習も予行演習も役割分担に入っていないのだから、 出勤してはいけない」 と強制病気休暇命令を下されます。 このためA教諭は、体育祭の予行も当日も、学校へ出ることを許されませんでした。 A教諭は8月末に、主治医から 「スモールステップで徐々に勤務時間を増やしていくことが必要である。」 という診断書を貰い、C1に提出していました。それにもかかわらず、このような強制病気休暇命令が、その後も何度か出されます。 ある時、校長室へ呼ばれてA教諭が入っていくと、C2が校長机の横に仁王立ちしていました。A教諭は即刻C2の退席を求めます。しかしC1が応じないので、A教諭が退出しようとすると、C1は職員室まで追いかけて来て、「出勤簿にはハンコを押したらいかん。」 A教諭は、「校長先生、自殺対策基本法は読んでくれたんですか。」 C1「いや、まだ。」(9月にA |