土居中の同和教育について意見を申し上げれば、自分は既に同和教育自体が大嫌いです。

 

先生方もご存知かもしれませんが、土居中学校の方針に異なったり少しでも違う意見は「発表してはならない」ものなのです。

 

掲示板において「卒業生の一人」というのは自分の事です。

 

あの日の研究授業、あの時程同和教育というものを嫌いになったことはありません。

 

自分から見れば土居中の「同和教育」というものは、昔の共産主義国家の強引なプロパガンダや、彼の国のマスゲーム等のような茶番にも過ぎないのです。

 

若しかするとそのときの三年をご存知の先生ならば自分のことをご存知かもしれません。

 

いっそ同和教育というものを無くした方がよい。自分はそう思います。地元の高校に入学しましたにが、高校に入ってから「同和教育」と言うものをほとんど聞きません。他の中学校から見れば同和教育ならぬ「同和脅育」か「同和狂育」としか見えないでしょう。
 

自分たちと異なる意見は粛清するか排除する。決して認めない。
 このような性格こそが土居中の問題の根源ではないでしょうか?

 

                           一卒業生

 

まごころ教育友の会会員様からの声です。

 

 

一卒業生様。友の会会員としてのこのサイトへの投稿に心から感謝いたします。私たちの理念は、「人間の尊厳」すなわち、「すべての人がその尊厳を重んじられること」です。

 

あなたのご文章は、昨年度までの土居中の先生のほとんどが読んだら、即没になったでしょうね。また、心ある先生が読んだら、ひそかに隠しておかなければならなかったでしょう。あなたが書かれているとおり、土居中学校の方針に少しでも異なっていれば、弾圧されるからです。

その事実そのものが、「すべての人の尊厳が重んじられてない」ということに他ありません。

直接、意見を言えば、徹底的に潰されます。それは、生徒だろうが、保護者だろうが、教職員であろうが、同じです。私たちが『考察』に書いたとおりです。

 

「すべての人がその尊厳を重んじられる」ということは、今のあなたのお気持ちがまず、しっかりと受け止めてもらえなければならないということだと、私たちは考えます。

あなたは、中学校3年間の間に、そのような場がなかったのですね。

そして、今、掲示板に、しっかりとした書き込みをなさっていると思います。その書き込みを見て、匿名であるし、お会いしたこともないのだけれども、あなたが大変しっかりした方だという印象を持ちます。

ただ、掲示板は、その特性上しかたのないことですが、「荒らし」が入って、まともには議論が流れていきません。(『土居中現役卒業生集まりんしゃい』は、まだしっかりしている方ですけれどもね。)

 

したがって、あなたのような方のお考えを自由に出せる場、そして、それをしっかりと受け止めてもらえる場こそが必要なのだと思います。

匿名でいいのです。本名は必要ありません。

基本理念に賛同しているかどうか。それだけが、必要です。

 

その意味で、あなたがここに投稿してくださったこと、すなわち、私たちの基本理念に賛同してくださったことをありがたく思います。

 

 

前置きが長くなりました。

私たちは、あなたのお言葉、

>あの日の研究授業、あの時程同和教育というものを嫌いになったことはありません。

このお言葉に、深く気持ちを寄せます。

それほどにも、あなたが傷ついた研究授業…。一体何に、それほどまでに傷つけられたのか? 

 

それは、直接あなたに対して尋ねるべきことではありません。

土居中だろうと、どこの学校であろうと、教師一人ひとりが、じっと思いを寄せて考えてみる必要がある、大切な大切な事です。

 

わたくしも、1ヶ月ほとんど休みもせずに勉強して、同和問題学習の授業をしたことがあります。それでも、思ったように出来なくて、落ち込む。また、再起する。そして、「よし。今日の授業は良かった!」と思った。

ところが、その3年後に、同僚が撮ってくれていた3年前のよかったはずの授業のVTRを見てみて、愕然とします。生徒の発言を受け止めてない、私の独りよがりで強引な授業。あの時は、自分で「良かった」と思ったはずなのに。

 

《授業》というもののむつかしさ。ましてや、「人権」を扱う授業は、誰にでもすぐに出来るようなものではありません。

 

目の前に一人、苦しんでいる人が居る。そのとき、どれだけ、その人の苦しみを共感できるのか? 根本命題です。人の苦しみを共感できる人のみが、本当に「語る」ことができるのではないでしょうか? でなければ、ただのきれいごとにしか過ぎず、ますます苦しめるだけだからです。

 

 

すると、「人権」についての授業をする時は、まず教師自身が、人の苦しみを共感できるだけの、感性を養わなければならない。いや。授業のときだけではない。すべての時に、当たり前に、相手のことをまず考える。

教師には、まずこれが必要なのではないでしょうか。

 

教師である前に、一人の人間であれ。

 

人間として、「ありがとう」、「ごめんね」などが、普通に言えているか?

教師が、一人の人間として、一人ひとりの生徒に対して尊厳の気持ちを抱いているか?

 

 

あなたが傷ついたのは、根本的に、そこのところに原因があるように思えてなりません。人の苦しみを感じる事を出来ないし、しようともしない人間が、教壇に立って「人権」について語るならば、すべてきれいごとのウソになります。

鋭い感性を持っていれば、そのウソを見抜いてしまうでしょう。そして、感性が鋭いだけに、人よりも苦しまなければならなくなるのです。

 

あなたは、

>いっそ同和教育というものを無くした方がよい。

とおっしゃっていますね。

 

でも、私には、あなたのような人こそが、

「本当の同和教育をしたい!!」

と言える方なのではないかと思います。

 

 

 

他人(ひと)

他人(ひと)

 

 

本当にこのように感じられる人が、土居町に一人生まれ出れば、土居町に一灯が燈ります。その一灯によって、何人もの人が救われるでしょう。

 

そのためには、苦しみを味わう、あるいは挫折を味わうことが必要です。

その体験があって初めて他人(ひと)す。

 

これまで、土居中でウマく弾圧の目をかいくぐって生き抜いてきた人も多いでしょう。そのこと自体は、卑怯な事でも卑劣な事でもありません。それも大切な智慧です。自分を守りましょう。

 

でも、一卒業生さんのように、

>あの日の研究授業、あの時程同和教育というものを嫌いになったことはありません。

というほどの体験を余儀なくされた人も大勢居ることでしょう。それは、大きな「苦しみ」ですよね。

 だからこそ、あなたが、一灯を燈す人になれるのだと思います。

 

 

 

 

今、「排除」され、闘病生活の中で先が見えず、絶望している人がいます。

今、「粛清」し「排除」されてしまうのではないかと不安を抱えている人がいます。

 

その人たちを救うためにどうしたらいいのか、私たちも暗中模索しています。

 

このサイトで、この3ヶ月間行ってきたことも、試行錯誤のひとつです。声を大にして、私たちは叫んできました。残念ながら、2007年度の土居中からは回答をいただけませんでした。

 

 

>自分たちと異なる意見は粛清するか排除する。決して認めない。
 >このような性格こそが土居中の問題の根源ではないでしょうか?

 

残念ながら、2007年度までは、まさに、そのとおりでした。

 

 

 

しかし、あと数日で2007年度は終わります。新しい年度に変わります。

 

 

土居中は、幹部連中は同じであるけれど、校長先生が変わります。

そこに期待をして、新しい土居中の再生を見守りたいと思います。

 

>自分から見れば土居中の「同和教育」というものは、昔の共産主義国家の強引なプロパガンダや、彼の国のマスゲーム等のような茶番にも過ぎないのです。

という強烈な評価を、誠実に受け止めて、土居中が自己変革への第一歩を踏み出すことを切に願います。

 

 

 

 

 

 

一卒業生さん。あなたが、ちょうどこのタイミングでお声を寄せてくださったことに不思議なご縁を感じます。多分、「偶然」ではなく「必然」だったのでしょう。

 

ちょうど、3月一杯でサイトを一新する予定だったのです。弾みがつきました。2007年度の諸問題は、遅くとも、3月一杯でいったんサイトからは消す予定です(考察は残します)。

 

(けれども、相変わらず、幹部連中が更衣室をランチルームにして悪口を言い合い、気に入らない教職員や生徒を排除し続けるようなら、厳しく糾弾していくでしょう。)

 

 

 

 

 

一卒業生さんのように、傷つき、苦しんだ人の声が、清涼な風となって土居中を吹きぬけることを、期したいと思います。

 

                       08年3月27日