真の同和教育とは
正しく生きようとする信念を教えるモノだと思います。

本当の教師とは
自分の身を犠牲にしようと生徒を護り、導く職業だと思います。

人間が真に誇るべきは
産まれや地位、名声ではなくてどれだけ正しい人生を送ったかだと思います。

正しい人生というのは
他人に迷惑を掛けず、幸せに暮らすことだと思います。

そして、人間の価値は
今際のきわに胸を張り「俺の人生は間違ってなかった。幸せだった」と悔いなく言い切れるかどうかで決まると思います。

 

土居中幹部は果たして死に際に心から自分の人生を誇れるでしょうか?
間違っていなかったと断言できるでしょうか?
幸せだったと悔いなく逝けるでしょうか?
本当に後悔しないんでしょうか?

俺にはそこが疑問でなりません。

もし、今の間違った人生のまま彼らが死んでいくと言うのなら、
怒りとかそういう感情を通り越してとても哀れなコトだと思います。

 

カラっぽ さんより

 

 

 

 

カラっぽさん。いつもあなたの投稿を嬉しく拝見しています。とても含蓄深い文章だと思います。

何度も繰り返し読ませていただきました。

 

あなたのご文章の特に後半の部分「土居中幹部は果たして死に際に心から自分の人生を誇れるでしょうか」というところですが、同じことを私も考えていました。

 

 

人間は、その魂が肉体を離れてこの世を去るとき、守護霊に見守られながら、その一生をスクリーンに映し出されるように見せられるといいます。どのような人も、後悔を抱かない人はいないといます。「あの時ああしていたら…」という切ない想い。

 

この時点においては、生まれ、地位、名声、財産などは一切関係なくなっており、残るものはただ一つ、自分の心なのです。

いかに宇宙の摂理に沿って生きることができたか、自分が見かけ上損をしたように見えても、他人の幸せのために生きることができたか、どうか。

これに尽きると思います。

 

 

あなたが何度も言っている「正しく生きる」と言うのは、まさにそういう生き方のことだと思います。

 

 

だからこそあなたは「本当の教師とは自分の身を犠牲にしようとも生徒を護り、導く職業だと思います」と書けるのですね。まさにこれこそ教師の本当の仕事なのだと私も思います。

 

そのとき、その時間、自分の身を犠牲にしているかどうかなどは、当の教師にとって考えにはありません。ただそうせずにはいられない。生徒を護りたい。その一心で動く。その結果、後に自分の身に苦しいことが降りかかってくるようになったとしても、その教師は幸せなのです。

それが本当の教師です。

 

 

 

 

アウシュビッツのコルベ神父のことをご存知でしょうか?

ナチスドイツのアウシュビッツ収容所でのこと。10人のいけにえの囚人が選び出されました。

そのなかの一人の囚人が「俺は死にたくない。残された家族よ」と

泣き出します。その時、コルベ神父は一歩前に進み出て「私がその人の代わりになりましょう」と言ったのです。コルベ神父を含む10人が餓死刑室へ連れていかれます。水も食料も一切与えられず、これまで、生きてそこを出てきた者はありません。

一人、一人と亡くなっていく中で、コルベ神父は賛美歌を歌い続け、残った囚人を最後まで励ましたそうです。

 

私は思います。コルベ神父は、その魂が肉体を離れていくとき、きっと幸せだったろうと。

 

 

 

 

ところで、実生活の上で人に迷惑をかけることはあります。

 

心身にハンディを背負っていたら、どうしても他の人と同じペースで生活することはできませんよね。

 

でも、難病でずっとベッドの上に寝たきりの生活を送りながらも、周囲の人を明るく照らす人がいます。

周りの人にとっては、もう、その人が居てくれるというそのことだけで、喜びなのです

 

その存在そのものが尊いのです。

 

人間はお互い迷惑をかけあいながらも、幸せに暮らすことができるのです。

 

これが人間の尊厳です。

 

 

 

 

 

さて、土居中幹部ですが、その生き方は哀れです。真の意味でのバリアフリーは、土居中幹部の意識の中には全くありません。地位、名声にすがりながら、敢えて弱者を作り、その弱者を蹴落として、体制を維持していくことが、正義だと思っている。

ヒトラーやスターリンや金正日と同じです。

 

死んでしまって魂が肉体を離れて、その一生を振り返ったとき、初めて「ああー! なんてことをしていたんだ!」と気がつくのでしょう。今のままなら。

 

とするならば、

 

彼らには厳しく「今の生き方は間違っているよ」とメッセージを送ってあげることが、彼らの尊厳を尊ぶことだということが分かります。

 

死に際よりもっと早くに、間違いに気づかせてあげること。

 

 

今後も彼らによって意図的に「被害者」が作られるのを防ぐことと同時に、彼ら自身をも救ってさしあげること。

 

そのためには今後、より厳しいメッセージを彼らに送っていくことが必要でしょう。

 

 

 

 

※           ※           ※

 

 

 

 

 

なお、カラっぽさん。話は変わりますが、私はあなたのような方にこそ、教師になってほしいと思います。あなたは、中学校において、すでに社会的苦しみと不合理を知り、しっかりとした考えをお持ちです。

 

今、全国の「不登校」生は12万人を越えるといわれています。

(私は、「不登校」という言い方は、不登校じゃない強い立場のものが作った冷たい言い方だと思います。)

いろんな原因があって学校へ行けない。原因が何なのか分からないことも多い。そして、苦しんでいるのです。

 

この苦しみを救えるのは、その苦しみが分かる人でなければ不可能です。

 

土居中でこの何年間か、人間性を否定されて苦しんだ人は、もうすでにその心の内に、他の苦しむ人に寄り添える灯を持っているのです。

 

今、「不登校」で苦しんでおられる方も、明るい灯をともそうと、育んでいるのです。

 

 

また、心身疾患で休職に追い込まれている、全国の教師の皆さん。

私の願いです。

どうか、あきらめず、復帰を果たして欲しい。

あなたたちは、経験をつんだ教師であると同時に、すでに、生徒の心の痛みが分かるようになったのです。

 

 

今の学校社会は、そのような人を必要としています。

(一人ではどんなにがんばっても社会復帰はムリです。各自治体および学校現場での復帰支援の理念とシステムが、絶対に必要です。)

 

 

 

 

「ニート」、「ワーキングプア」などが社会現象となり、今後も高齢者や「貧困層」や「障害者」の切捨てが予想される厳しい状況の中で、学校という一つの社会の中で『弱者に光が当たる』こと。

 

これは、世界にとって、とても大切な、かつ大きな意味を持つことだと思うのです。

 

 

 

 

 

まごころ教育友の会執行部代表

2008426