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出張から帰りました。出張中、昼夜の気温の変化の大きさに体調を崩してしまい、サイトの更新をするのが、今少々しんどい状況です。出張中にお寄せくださっている皆様のお声に対しては、徐々に、掲載してまいりたいと思っております。 朗報がひとつあります。久しぶりにA教諭と会って話をしました。 徐々によくなっているとのことです。 また、4月の終わりには、三島南中の3年団の先生方との学年会に、奥様ご同伴で出席されたとのこと。「不安障害」という苦境の中で、このような場に出られるということが、すごいことだと思うのですが、これはひとえに、南中の3年団の先生方の温かさによるものでしょう。とくに、学年主任の先生が毎日教師用に作っておられる『第3学年日程』というのを見て、自分もその一員であると、所属感を感じていることを、A教諭と話していて、強く感じました。 A教諭は、まだまだ、自分で運転して外へ出ることもできず、本も読めないし、パソコンの画面も見えないそうです。 そして、親しい人とさえ、調子のいいときでないと会えません。 けれども、少なくとも1ヶ月前よりは今のほうがいい、こういう感じで徐々によくなっているそうなので安心しました。 さて、今回久しぶりにA教諭に会って、わかったことがあります。 今年の1月、2月は、あの厳しい試練の中でも、A教諭にはパワーがありました。それで、それにあわせて、私も相談に乗ったり、助言したりしてきたのですが、3月以降会えなくなり、電話でも話ができなくなりました。 A教諭は、今も投薬治療中ですが、土居中のあの厳しい差別の場から離れ、1,2ヶ月のタイムラグをおいてようやく、心身ともに休息モードに入ったのでしょう。 そして、私には、自分自身、反省することがあるのです。 私自身、昔うつ病を患い苦しみを味わったのに、今回、A教諭のことを理解しているつもりで、理解できていなかったということです。 おそらく、3月以降の私は、A教諭に対して、自分でも気づかずに、「がんばれ」、「こうせよ」、「それはしたらダメ」といったメッセージを送っていたのだと思うのです。人は、毎日変わっています。刻々と変わっています。私が持っていた、2月までのA教諭のイメージのままで、3月以降も接していた、そのことがA教諭を苦しめていたのだと、ようやく気がついたのです。 Sさんが『コラムS1』で書いている、(ぼろぼろの犬)のことですが、Sさんにあのように言った私が、実は、A教諭を苦しめていたのです。 おそらく、A教諭は、「自分はぼろぼろの犬なんだ。それをわかってくれ!!」といいたかったに違いありません。ぼろぼろの犬。病気で動けないだけとは限りません。手当てしようとして手を近づけたら噛み付くこともあるかもしれません。夜間に徘徊して廊下に排便することもあるかもしれません(これはひとつの喩えですが)。 そのときに、元気なほうの私が、「それはダメ!」と強いメッセージをなんらかの言動でA教諭に送っていたのではないか? そうしてみると、A教諭にしてみれば、私を避けるしかないではないか? 久しぶりに体調を悪くした私が、そのおかげで、ようやくA教諭に近づけたのでした。 そうなのです。 そっと、誰かが寄り添っていてくれる。そして、一緒にいても安心していられる。自発的に何かをしようとしたときにも、安心してできる。 こういう状態が、今のA教諭には必要なのです。 A教諭のことを心配して、よかれと思って、何かを強制したり、禁止したりしてはいけないのです。 どうしても、言わなければならないと思うことについては、そっとA教諭の横に置いて差し上げる。それを手に取るかほうっておくかは、A教諭に任せる。 あとは、自然界の万物に働いている《自然治癒力》が働いて、元気を取り戻していくのを待つ。 私自身、自戒の意味をこめて、刻印するつもりで、書きました。 外の人は、これを「引きこもり」といい、「不登校」と言うのです。 A教諭が今、自らもって、このすべてを体験していることの意味の大きさを考えます。 私は、このサイトのことや掲示板のことも話しました。A教諭は、ディスプレイの字を見るのが苦痛で、ほとんど見てないそうです。内容は奥様から聞いて大体知っているという状況でした。私は、思い切って、例の、掲示板での誹謗中傷のことも聞いてみました。A教諭はすでに、知っていました。そして、驚くほど、冷静でした。 以上、このサイトを見て下さって、A教諭のことをご心配してくださっている皆様に、とりあえず、ご報告まで。 |
